日本語教師は皆、本当に様々なバックグラウンドを持っていると感じます。このSenSeeのライターたちのプロフィールを見ただけでもわかりますよね。
そんな日本語教師の一人である筆者自身のことも紹介したいと思います。けっこう長くなってしまったので、今回は前編です。良かったら後編「日本語教師デビューしてから」編も読んでくださいね。
この記事を読んでいる方の中には、会社を辞めて日本語教師になりたいけど、今のこの恵まれた境遇を捨ててまで、よくわからない日本語教育業界に入る必要はあるのか?と思っている方もいらっしゃるかもしれませんね。何だかんだ「一般企業で正社員として働くのがいい」という考えが刷り込まれている我々は、日本語教師になることを考えると色々な不安が頭を過るでしょう。
筆者は今、世間では節目と言われる年齢で(想像に任せます)、気が付けば日本語教育歴9年です。タイトルの通り、筆者がこれまでどんな選択をしてきたのかお話しするつもりですが、「ねぇみんな、こっちの道選んでも全然大丈夫だったよ~☆日本語教師になっちゃお~(^_₋)☆」ということではありません。
ただ、何か迷っているときにアドバイスなどは無くても、他人の経験談には解決の糸口になるようなものが潜んでいることもあるものです。この記事は「その辺の人」の経験談の一つとして読んでみてください。
それでは、筆者の日本語教師人生を包み隠さず公開するのは無理です。そんなの(^^;
包み隠して公開します(笑)
日本語教育との出会い~「日本語」と「図書館」どっちにする?
「教職は、本当に先生になりたい人しか来ないでください」・・・あ、そうなんだ。じゃあ無理だな。大学生になったばかりの私は、教職説明会が行われていた教室から出ていきました。
じゃあ、日本語教員養成課程と図書館情報学課程(そんな名前だったと思います)と、別にどっちでもいいけど、せっかくあるのだからどっちか取っておこう。
私は大学で、いわゆる日本語教員養成課程(副専攻)を修了しました。
「あ~教職はやらないんですけど、なんか『日本語教員』とかいう資格取れるクラスも取る予定ですぅ~」と色んな人に言いふらしていた当時の私は、将来の自分はその「日本語教員とかいう」仕事をしていると知ったらどう思うのでしょうか。
「ふーん」で終わるのかもしれません(笑)
「日本語」か「図書館」かと考えたときに、先輩や友達の話を聞いたり親と相談したりしました。どうして「日本語」を選択したのかよくわかりませんが、両方ともよくわからないながらも「日本語」のほうに、僅かながらわくわく感があったのを覚えています。
私は英語文化学科の学生だったのですが、そこでちょうど「言語学」に出会った頃に、日本語教師養成課程(副専攻)の授業がスタートしました。その頃取っていた言語学関連のゼミと合わせて、普段何気なくしている日本語でのコミュニケーションの中で起こっている現象を見つめることが単純に面白いと感じ、まだ「日本語を教えること」に興味はないけど、毎週授業を楽しみにしていました。
ここ数年で流行りの「ワクワクする方に進みましょう☆」を無意識に実行して良かったねー私。という話です本当(笑)
大学院進学?就職?
こういうタイトルをつけると「日本語教師になりたくなっちゃって進学を考えたのかな」という印象を受けますが、まだこの段階では日本語教師の仕事に興味はありません。
私のこの頃の興味は日本語教育というよりは「言語学」です。
大学3年生の秋、「●●会社説明会」だ「就活メイクアップ講座☆」だなんだと、学内に就活臭が立ち込めていたころ、まだ私は進学するか就職するか決められていませんでした。教授に言われた通りに一足先に卒論を書くために文献を読んだりしつつ、とりあえず就活するための準備も雰囲気に流されてやっていたという具合です。
「どうして進学したい気持ちがあったのに、そんなに悩んでたの」と言われれば、それは文系の大学生としてはごく普通の理由で悩んでいました(笑)。「文系で修士号を取ったからといって就活に有利になるわけではない、というよりむしろ就職しにくくなる」というイメージがありました。
私は卒論のために文献を読んでる時間も楽しかったし、でも一方で就活をしながら色々な企業を回ることも楽しく、余計に決められなくなりました。中でも「証券会社」という、当時の私には身近ではなく「何をやっているのかよくわからない会社」に興味が出てきたのもあります。
そして、もう一つ問題だったのが、私が就活をしていた頃は非常に「景気が良かった」ということです。「就職」「進学」という単語が脳内をぐるぐるしたまま、気付けば数社の面接にも行くようになり、4月下旬には何と、私が興味を持った証券業界の会社から内定をいただき、就活が終了しました。友だちもほとんど夏が来る前には就活を終えていました。
内定が出た後もまだ「進学か就職か」悩んでいましたが(しつこい)、その会社と色々やりとりしているうちに、気持ちはその会社に向いていきました。6月頃だったと思います。
私:〇月〇日、内定者懇談会で東京に行くので、ゼミ欠席します。
教授:あら、就職することにしたのね。
私:はい・・・。
あ・・・私、今、先生に就職するって言っちゃった。はい、就職することにしたみたいです私。そんな感じの決断でした(何だそれ。)
仕事を続ける?辞めて大学院進学?
「就職することにした」で締めくくっておいていきなりこのタイトルかよ、と思われた方(笑)筆者の証券会社での勤務期間は1年7ヶ月です。短いでしょうか。思ったよりは長かったでしょうか。
「大学院進学への未練が断ち切れずに辞めた」もちろんです。でも、1年7ヶ月…「仕事が嫌になったから辞めた」それも間違いではありません。どうして嫌になったのか、それをここには詳しくは書きません。
ただ、私が働いていた会社は決しては悪いところではなく、この会社でお世話になったことは幸せだと思っています。働いている人は皆、明るく生き生きとされていて、私たち新人の面倒もよく見てくれましたし、中途や新卒で入った同期ともとても仲良く過ごしました。待遇も全然悪くありませんでした。
仕事内容は、地域密着型のファイナンシャルアドバイザーとして、飛び込みや電話、セミナーによる新規開拓の営業でした。「金融・経済の分野」であり「営業」という内容自体は決して嫌いなものではなかったと思います。
相性が合わない人のことで悩んだり(同じように向こうも悩んだと思います(^^;)、他にも挙げれば沢山出てくるのですが、それらを全て含めて、仕事を辞めたときの私の状態を今になって振り返ると、こうでした。
日本語教育能力検定試験の範囲でもある、「異文化間教育」や「コミュニケーション」などといった分野で出てくる、いわゆる「カルチャーショックのUカーブ」の一番下のカーブがキツいところにいる状態です。
大学時代に言語学を通して「学問」という世界のほんの入り口に立ったに過ぎないのですが、お子ちゃまな大学生なりに、言語学を楽しんで学ぶことで得られた考え方や価値観などがありました(たぶん)そのような状態で「〇〇証券株式会社という異文化に接触し、文化的差異が目に付き、その異文化を拒絶していた時期」だったようにも思います。「異文化適応」する前に辞めてしまったのですね(笑)
両親は「(筆者の)目が死んでいた。さすがに会社辞めさせなきゃだめだと思った」と言います。それでもいざ辞めるとなると、両親からも会社からも、それはそれはもう沢山色んなことを言われました(笑)しかし、辞めると決めてからは体のダルさが抜け、同僚からも顔色が良くなったと言われました。
結局は、会社では同期や先輩、上司が送別会を開いてくれて、皆の温かい声援で送り出されました。そして、実家から会社に通うことで貯めた数百万円を手元に、進学への準備が始まりました。
どこの大学院にする?
退社してまもなく、筆者の部屋にある会社から支給された経済・金融関連の本は、その部屋の主にさっさと押し入れに追いやられました。「そんなに嫌だったのかい(笑)」と親が言うほど、そんなに早く、そして速く、本棚のラインアップが変わりました。
ところで、進学するならイギリス!って決めたのは大学生のとき、それも就職先も決まった後の話です。理由はこんなところです。
- イギリスで博士号を取得された大学時代の教授が、「海外」という選択肢があると教えてくださったこと
- 言語学に強い大学がイギリスに沢山あること
- イギリスという国自体に憧れがあったこと(街並みや人など)
教授からの推薦状、自己推薦文、大学時代の成績証明書などを揃え、IELTSという英語の試験ではイギリスの多くの大学院が求めてくる点数も無事にクリアし、とりあえず予定してた9月にはイギリスに行けそうだ、とホッとしました。
筆者は6つの大学に応募し、その中から2択(AとB)にまで絞り込んだのですが、そこで悩みました。
- 筆者がやりたかったことに「より」近い研究ができそう A>B
- 大学の知名度 A<B
- 色んな意味で修了後の就職に有利そう A<B
- 言語学全般の研究が盛んなイメージ A=B
- 都会度 A<B
その他
- Bからは文句なしのオファーが出たが、Aは英語の点数が0.5点足りなかったため、1ヶ月Aの附属の語学学校で英語の授業を受けるという「条件付きのオファー」だった。
- Bがある地域は治安がいい。
そんな感じでB=エジンバラ大学大学院の応用言語学専攻修士課程に入学することにしました。自分の興味に近い研究ができそうだと当時感じていたのは、選ばなかったAのほうなのですが、今となってはこの選択は良かったのではないかと思っています。
当時の「興味に近い研究」をするにも実は、実際に選んだBのほうだったのではないかと思いますし、Bに進んだからこそ修了後に、日本語教育の世界に入る気になったというのは間違いありません。
以上、「日本語教師になる前」の筆者のことを紹介しました。
次回は「日本語教師デビューしてから」編でお目にかかりましょう。
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