「理由」を表す表現として初級の教科書に必ず出てくる「から」と「ので」。
みなさん、どうやって教えていますか?
「みんなの日本語」では、「から」が9課でかなり初めのほう、「ので」は、初級Ⅱの中盤・39課になってやっと出てきます。
学生たちは「から」に慣れてしまうので、あとで「ので」を教えてもなかなか使えるようにならない…。そういうこと、ありますよね。
そういう時、どのように「から」と「ので」の違いを示していますか?
私も新人教師のころ、何とか教えるヒントを得たいと思い、「日本語文法」や「日本語学」の本、また日本語の教科書に付いている「教師用マニュアル」などを片っ端から読んでみました。
みなさんもそんな経験はありませんか?
- 「え、どっちも『理由』を表すんだから、接続する形の違いや使う場面の違いなどを教えておけばいいんじゃないの?」
- 「そもそも意味に違いなんてあるの?どっちかを使っておけばとりあえず問題ないんじゃない?」
そう考えている方も少なくないでしょう。
でも、そうじゃないとしたら?
ちゃんと、両者に明確な違いがあるとしたら・・・?
知りたくなりますよね!
そこで今回は、意外と知られていない「から」と「ので」の違いについて、どの参考書にも載っていない解釈を交えて、わかりやすくお話したいと思います!
これまで悩んでいた方、必見です!
1.「から」と「ので」の違い:何が問題なのか
「から」と「ので」、この二つの違いがわからないことには、教え方だって浮かびませんね。
まず、一般的な参考書をもとに、多くの授業でどのように教えている(と思われる)のか見ていくことにしましょう。
1-1 多くの参考書では…
みなさんも、文法分析をする際に色々な参考書を読んだりすることがあると思います。
教科書によっては「教え方マニュアル」のようなものがついているものもあります。
そのような参考書の中を開いてみると…
「から」と「ので」の違いについて、(*複数の本をまとめたものです)
「から」→ 「です/ます体」に接続。(後件が普通体なら前件も普通体に接続)
「ので」→ 「普通体(形)」に接続。(より丁寧な場面では「です/ます体」に接続)
「から」→ 後件の「ことがらの原因・理由」、または後件に話された「話し手の判断の根拠」を表す。
「ので」→ 主に因果関係(原因と結果)や事実関係を表す。
「から」→ 後件にいろいろな意志表現ができる。
「ので」→ 命令などのあまり強い意志表現はできない。
(ただし、後ろが丁寧な依頼表現(「~ください」など)の場合は使える)
「から」→ 話し方によって丁寧さを欠くことがある。
「ので」→ 丁寧である。
「から」→ 「~(です/ます)から。」可。
「~からです。」(疑問文の答え・強調構文)可。
「ので」→ 「~(です/ます)ので。」場合によって可。
✕「~のでです。」(疑問文の答え・強調構文)不可。
というようなことが書いてありますが、ほとんどの本には、補足として「どちらかと言えばそう言える、というようなものである」と書いてあり、はっきり、「ここが違います!」とは言っていないんですよね。(⑤だけは、はっきり✕と書いてありますが。)
①の接続の形にしても、初級の教科書では、ほとんどの場合が「『~です/ます体』+から」、「『普通体(形)』+ので」と教えているにも関わらず、参考書にはわざわざ「その限りではない」という但し書きがついています。
もちろん、ネイティブとして見た場合にはいろいろな使い方があるので、参考書に書いてあることは間違っていません。
でも、学習者に「教える」となると、これでははっきりしなくてよくわからない、ということになってしまいます。
1-2 問題は「違い」をはっきり示せないことにある!
1-1で見たように、参考書を見ても「から」と「ので」の違いが明確にならないため、教師としては学習者に何を伝えればいいのかわからない…というのが最大の問題点と言えるでしょう。
参考書の中からかろうじて文法説明のヒントを見つけるとすれば、本来なら②の意味・機能の違い…と言いたいところですが、「原因・理由」か「因果関係(原因ー結果)」か、という違いは、どうやって示しますか?
…そうです、難しいんです!
結局、どちらも前件は「原因・理由」を表しているので、違いが見えにくいんです。
そうなってくると、教師が学習者に説明するのに「便利」なのは、
- ①接続の形が違います。
- ④丁寧さが違います。
もう少し理解力のあるクラスなら、
- ③後件に命令形は使えません。
ということになってしまうので、おそらく、多くの先生は、「ので」を導入するときにこれらのことを織り交ぜて説明しているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
意味・機能に違いが見られなければ、どうしても「形」のほうを見るしかありません。
私がこれまでに見た参考書の中で、最もシンプルなものには
「ので」は、「から」より丁寧な表現ですから、自分のことを弁明する時などに使います。
と堂々と書いてありました…。
果たして、これでいいですか?
この教え方なら、教師は楽です。
ちょっと説明して、あとは場面設定を少し考えて練習させれば、形的には「ので」の文が作れるようになったかのように見えます。
なぜ、その場面でその文型(や表現)を使うのか、それがわかっていないと、応用がききません。
学習者は、自分が真の意味で理解していない文型・表現は回避する傾向があります。
中級・上級になっても「~から」を連発してしまう学習者がいるのは、このためだと考えられるのです。
2.「から」と「ので」の違い:理由を言いたい「から」vs.理由を目立たせたくない「ので」
さあ、では、「から」と「ので」の決定的な違いについて、具体的にお話ししていきましょう。教師がちゃんとわかっていれば、学習者に説明するときにも迷わなくなりますよ。
2-1 理由を前面に打ち出す「から」
「から」の意味・機能は、多くの参考書にも書いてあるように、「原因・理由を表す」。
この一言に尽きます。実にシンプルです。
一見シンプルで良さそうですが、なぜ「丁寧さに欠ける」とか、「主観的な理由を言う時に使う」、「(自分の)理由を強く主張しているように聞こえる」などと言われてしまうことがあるのでしょうか。
それは、「理由を表す」というシンプルさゆえ、です。
というのは、「から」が、どんなことでも「理由」に仕立て上げることができるという機能を持っているからなんです。(←この用法は、「から」にしかないものですね!)
例えば、今が冬でとても寒いとします。
みなさんは、寒い時、どうしますか。何をしますか。ちょっと考えてみてください。
- 今日は寒いから、
- 今日は寒いので、
「から」も「ので」も同じことが入りますか?
Aさん~Eさんはこんなことを言っています。
Aさん「暖かい服を着ます」
Bさん「どこも出かけません」
Cさん「温かいものを飲みます」
Dさん「外で遊びます」
Eさん「アイスクリームを食べます」
読んでいる途中で、「んん??」となりましたか?
A~Cまでは、さほど違和感なく受け入れられる(あるいは「ので」のほうがしっくりくる)かと思いますが、DとEは、「から」にしても「ので」にしても、一瞬、「え?どうして??」と言いたくなりますよね。
ですが、それでも、文として成り立つのは、「から」です。
極端な例ですが、その人にとって、「寒い」ということが「外で遊ぶ」や「アイスクリームを食べる」の理由になっていれば、それでいいんです。使えるんです。
Dさんが、「寒いから体を動かして体温を上げたい。でも、家の中だと思いっきり体を動かすことができないから、外に行って遊んだほうがいい」と思っているなら、「寒いから」は立派な理由、ということになります。
また、Eさんも同様で「寒い日に暖房のきいた部屋でアイスクリームを食べるのは最高に気持ちいい!」と思っているとしたら、「寒い」のは、アイスクリームを食べる根拠になり得るのです。
つまり、「から」は、後件のことがらから考えられる一般的な理由(上の例のA~C)を述べる時だけでなく、正当、順当、一般的とは言えないような理由を述べる時にも使える表現なのです。
見方を変えれば、話し手が「これが原因・理由だ」と思っていることに「から」をつけられる、ということなので、それは場合によっては話し手独自の考えということにもなります。
これが、「から」のほうが「主観的な理由」だ、や、「理由を強く主張している」と言われてしまう理由なのです。
また、日本語(日本文化)の場合は、「自分の考えを強く出している」表現=「丁寧度が低い」表現という暗黙の感覚があるので、「から」のほうが丁寧じゃない、とされてしまうのです。
2-2 状況説明から自然な流れで結果を導く「ので」
それに対して「ので」には、「理由を強く打ち出す」という機能はありません。
ここで一つ質問です。
では、なぜ、「ので」は「順当な結果」を導くことができるのでしょうか。
(ここからが、どの文法書にもはっきり書かれていないことです!)
もともと「んです」の「ん」は「の」ですし、「~んです」の文を途中で止めて「~んで…」と言うこともありますよね。
「~んです」の基本の機能を思い出してみると「自分の状況を説明する」。もっと言えば「私は今このような状況にあります。この状況をわかってください!」という気持ちで相手に何らかの意図を持って働きかける、という機能でした。
これを「ので」に当てはめてみると、しっくりきませんか?
前件:状況を説明する → 後件:その状況から考えられる結果が生じる
という仕組みです。
例えば、「事故で電車が遅れた」→「時間に間に合わなかった」 という場合、
事故で電車が遅れたので、時間に間に合いませんでした。(+すみません。)
というのが最も自然で一般的です。
最初に前件で「事故で電車が遅れた」という状況を説明して、その結果、「時間に間に合わなかった」と続けているので、違和感もなく、また気持ち(この場合は「すみません」)も伝わってきます。
これを「から」でつなぐと、
事故で電車が 遅れました/遅れた から、時間に間に合いませんでした。
日本語の文法的にはどこも間違っていませんが、「ので」の文に比べると、どこか臨場感がないというか、まるで「他人事」のように聞こえてしまいますね。
その理由は、2‐1でもお話ししたように、日本語(日本文化)においては、「自分を主張する」のではなく、「自然な流れでこうなりました」というほうが好まれるため、それにのっとっていない(ように見えてしまう)「から」の文は、ちょっと不躾に聞こえてしまうのです。
また、「状況を説明する」ということ自体も大事な要素になっていて、「~んです」による状況説明の中には、暗に「あとの結果は察してくれますよね?」という意図が含まれていると考えられます。
「~んです」には、それを受けた側も、その気持ちを受け取って次の行動に出る…という機能があり、これを日本人は自然に使っているので、この「相手へのはたらきかけ」の要素が入っていないやり取りだと、もしかしたら物足りなく感じるのかもしれません。
そして、「理由をはっきり言う」より、「状況を説明する」ほうが丁寧、とされているので、「~ので」の文のほうが「丁寧度が高い」と言われるのです。
3.失敗しない「ので」の導入 ー「から」と「ので」は、初めから違うものとして扱おう!ー
先ほどの2‐2で出した例文ですが、
- 事故で電車が遅れたので、時間に間に合いませんでした。
- 事故で電車が遅れたから、時間に間に合いませんでした。
日本社会においてどちらを使うのが得をするか、一目瞭然ですね。
「得をする」というと語弊がありますが、学習者が「不利益を被らない」ように日本語を教える、というのが私たち日本語教育に携わる者の役割だと思いますので、もちろん、①のように言えるように導かなくてはなりません。
そのためにはどうするか。
まずは、「ので」を教えるときに、絶対に「から」と同じです、なんてことは言わないようにしましょう。
「同じです」と言ってしまったら、もうその時点で、学習者の頭は「同じだ!」となってしまい、その後、いくら違いを説明したところで何も吸収されなくなってしまいます。
既に「~んです」が学習済みであれば、「~んですか」を使って質問して自然な会話を引き出すようにしてみてください。話題は身近なことでいいんです。
例えば、その日遅刻した学生や、前日に欠席した学生がいたら、「どうして遅れたんですか」「どうして休んだんですか」と聞いていく、あるいは、そういう学生がいない場合には、いつもしている雑談の中から話題を見つけるなどしてみてください。
眠そうな学生に、「どうして眠いんですか。昨日の夜、何かしたんですか」でもいいですし、いつもはお弁当を作ってくるのにその日はコンビニで買ってきた学生に「どうして今日はお弁当じゃないんですか」でもいいですね。
学習者のほうも、自然に「~んです」や「~から、…」と答えられるような内容にして、まず、話の中身を引き出します。
そこで出てきたものを拾って、「ので」の文を作り、提示してみてください。
何か特別な話題でもなく、大げさな内容でもなく、日常の自然なことを説明しているという流れで「ので」の文が作れるはずです。
遅刻や欠席の理由を話すのなら、まさに「ので」の文がうってつけとなりますよね。
その時、学習者が「んです」でなく「から」を使って答えるようなら、すかさず「んです」か「ので」に直してください。
あとで、ではなく、すぐ、その時に、がポイントです!
そうすることで、学習者の側に、あれ、今、何か場に合わないことを言っちゃったのかな、という気づきを起こさせることが目的です。
その時、「ので」の意味がまだよくわかっていなくてもかまいません。
その後、何人もの学習者が「ので」や「んです」を使って答えていけば、「こういう場面でこういう内容の時は『から』じゃないんだ…」と体感していくと思います。
例1:
T:どうして昨日休んだんですか?
S1:頭が痛かったんです。
T:そうですか。今日は大丈夫ですか。
S1:はい。大丈夫です。
→<口頭 または 板書> 昨日(S1さんは/私は)頭が痛かったので、休みました。
例2:
T:S2さん、眠そうですね。どうしたんですか。
S2:昨日の夜、ケータイでゲームをしましたから。
T:ゲームをしたんですね。
→ 昨日の夜、(S2さんは/私は)ケータイでゲームをしたので、今日は眠いです。
これを読んで、え、そんなに簡単なこと?!
と思われたかもしれません。
簡単(=シンプル)でいいです。文型は、導入が命、です。導入がわかりにくかったら、意味がありません。
よく考えるとしたら、その文型をどんな場面で使うか、いつ、だれに向かって使うか、ということだけです。
みなさんも、実践してみてくださいね。
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