SenSeeライターおおたです。
今回は方言の話です。
地元を離れて日本語教師の仕事がしたい方、既に違う地域で日本語教育に関わり始めた方。私と同じ北海道(特に札幌)ご出身の方々(笑) 今何気なく使ったその言葉、大丈夫ですか(笑) アクセントやイントネーションはどうですか。
私は札幌で生まれ育ち、20代中盤で実家を出ました。
日本語教師としての仕事は、ロシア・ノボシビルスクを経て、現在に至るまでの約8年は東京でやっているのですが、私は、東京に来てから自分の方言を意識するようになりました。そう、「来てから」なんです。
東京に来たばかりの頃は、自分は北海道の方言を話しているんだと気が付くことが、よく教師同士で話しているときに、時には授業中に学生とやりとりしているときに(!)、ありました。
また、ここ数年は養成講座で仕事をすることが多く、東京だと特に受講生の方々も色々な地域からいらっしゃっているので、ときどき方言の話題になります。そして、私の話し方などから、東京の人ではないことがバレることも多々あります。
日本語教育に関わっている人であれば、日本語のクラスでうっかり方言が出てしまうと、学習者が混乱することにもなりかねませんよね。
私は方言は専門ではないので詳しいことは言えませんが、この記事では私が個人的に、東京に来てから気づいた北海道の方言や、感じたことを書いています。
自分の地域の言葉、話し方に興味を持ってみましょう。
道民は方言を話している自覚がない?
「道民は方言を話している自覚がない」
これは私は結構聞く話で、北海道からの上京組を見ていてもそう感じることがあります。私自身もその一人です!(もちろん「道民は」なんて皆一緒にはできません。北海道の中でも当然、地域による差もありますが…)
東京には全国から人が集まっています。地元での言葉は方言であるという自覚のある人は、結構気をつけて話しているそうなのですが、北海道の多くの人はその自覚がないので、ぽろぽろ方言が出てくるのだとか。
道民は、北海道方言がないとまでは思ってないですよ。でも、北海道でしか使われない言葉が少しある程度だくらいにしか思っておらず、アクセントなどに関しては、気にしたこともないという人が沢山いるような気がします。(実はアクセントって結構、北海道の特徴が表れるところなのです(笑))
ところで、コールセンターが多い都市の一つが札幌だというのを聞いたことがありませんか。それは札幌の人は、訛りが少ないからということなんだそうです。
私も、日本語教師になる前、前職や学生時代のアルバイト、留学などで北海道外の方とお話しする機会はそれなりにありました。何故か言葉もアクセントも特に意識せずいつも通り話していて、特に問題なかった(と私は思っていた)ということから、「私はちゃんと全国に通用する日本語を話している♪」と、あぐらをかいていました。
が、後に苦労することになります(笑)
「方言」について定義を確認
ここで、少し社会言語学の中で「方言」がどのように説明されているか簡単に紹介します。
社会方言と地域方言
我々が一般に言う「方言」は、社会言語学では「社会方言」と区別して、「地域方言」と呼ばれています。社会言語学では「方言」が指す対象が広いのです。
- 地域方言:いわゆる方言。地域差による言葉のバリエーション(多様性)
- 社会方言:社会的な属性(性別、年齢、階層、職業など)による言葉のバリエーション
この記事で話題にしているのは「地域方言」のほうなのですが、記事内ではそれを「方言」と表現することにしますね。
標準語と共通語
もう一つ、「方言」というワードが出てくると、確認したいのが「標準語と共通語」です。
『新・はじめての日本語教育1[増補改訂版]日本語教育の基礎知識』(2016:203)で、両者の違いが端的にこのように説明されています。
標準語:ある言語の標準とされる形。マスメディアや学校で使用されている言語。
共通語:ある地域内でどこに行っても通じる言語。
日本国内において、多くの人に理解される話し方や言葉、いわゆる「方言」ではないもののことを私たちは「標準語」と言うことも多いですが、本当は「共通語」という言葉のほうがふさわしいのですね。
「標準語」というのは、「共通に理解ができる」ということだけではなく、それを含めいくつかの条件を満たすものであるのですが、その条件の中に、例えば「法律で定められた公用語である」「正書法が定められている」などがあるのですが、日本語に関してはそこは満たされていません。(詳細は石黒(2016)をご覧ください。)
ですから、日本語教育において一般的に教えられている日本語は「共通語」ですね。
道産子日本語教師が遭遇した「無意識に使っていた」北海道方言
東京の日本語教育機関で仕事中に、教師や学生に指摘されたりして気が付いた北海道方言です。
はいじゃあ、つぎ
東京での生活が2年目ぐらいの頃です。働き始めた機関で、専任教師が私の授業を見学し、フィードバックをくれたときに指摘がありました。
専任の先生:太田先生って…何か…。北海道のアクセントがあるのでしょうか…。
私:え?
専任の先生:先生ね、つぎ(高低)、つぎ(高低)って仰るんですよ。
私:はい…。(言ってますけど。何がおかしいのかな?)
専任の先生:つぎ(低高)ですよね?
私:…ああ!そうですね。(そう言われればそうだな)
つぎの横に書いてある「(高低)」は、アクセントです。
「はい、じゃあ次!」とか「次のページを…」とかいうときの「次」ですが、私は「つ」が高くて「ぎ」で音を下げて発音していたんですね。共通語では「つぎ(低高)」つまり、「つ」が低くて「ぎ」で上がるのだと(笑)
私としては、聞いた感じではどちらも抵抗がなかったのです。指摘されたとき、自分は「つぎ(高低)」って言うけど、「つぎ(低高)」って言う人確かに多いかもな、ぐらいな感じでした。
札幌にいたとき、例えば「いす」のアクセントが、自分を含め道民が言っているのは共通語と違うということは聞いていたのですが(「いす(高低)」と言う道民が多いです)、この「次」もその類だったとは…(^^;
「次」という言葉は、どんなジャンルでも「先生」であればクラスの中で結構使うのではないでしょうか。私はこの事件以来「次」を言うときは気を付けていて、時に言い直したりしています(笑)
5番
私が北海道出身だと知っているA先生に、お手洗いで会ったとき聞かれました。
A:太田先生、1番、2番、3番、4番、その次は?
私:ごばん(高低低)
A:あーやっぱりそうなるんだね!
私:え?
A:ごばん(低高高)ですよね。
私:…ああ!そうですね。(そう言われればそうだな。)
「次」のときと全く同じ反応をする私です(笑)
これもさっきの「次」「いす」と同じです。道民がよく言ってる1拍目が高くてその後低くなるアクセントは「頭高型」と言われています。
南北線
これはもっと前の話、東京に来て最初に働いた機関で、なんと学生に指摘されました。
多分、漢字のクラスだったと思います。学生たちは「南」「北」など方向に関する漢字はおそらく既に習っていたと思います。
それで、どういう状況でかは忘れたのですが、「南北線」という言葉がテキストに出てきたときに、私はその読み方を投影機の台の上で書いてしまったんですね。何の疑問も持たずに堂々と…
って(笑)なんぼくせんじゃなくて、なんぽくせんですよ?(笑)
NANPOKUSENって言ってたんですよ私、NANBOKUSENじゃなくてNANPOKUSENですよ?20何年間もずーっとPで発音してたんですよ(笑)
札幌の地下鉄にも「南北線」ってあって、私はかなりのヘビーユーザーでした。
中学から大学までの10年間、毎日毎日、南浦苦戦(←なんぽくせんで変換したらコレになる)に乗って学校に通い、卒業して会社員になってもこの南浦苦戦で通勤していた、自分の庭のように思っていた地下鉄の読み方をずっと間違えていたんですよ。いや、間違えていません。共通語と違うだけです!でもわかりますか、慣れ親しんだ地下鉄の名前が、実は共通語のそれとは違ったという衝撃。
「え、じゃあ、東西南北は何て読むんですか?」
そう思う方も多いでしょう。実際、同僚の先生にそう聞かれました。
ええ、もちろんPでしたよ。とうざいなんぽくTOOZAINANPOKUって言ってましたよ(笑)
一人の学生から指摘されて、その時どう対応したか覚えていませんが、私は「あーなんぼくせんとも言いますねー」とか、さらっと言ったのかもしれません。いや、「なんぼくせん『とも』」じゃなくて、「なんぼくせん『としか』」言わねーよ!」と学生たちが思ったであろうことは、授業後に同僚の先生方と話すまで気が付きませんでした。(翌週、ちゃんと学生たちに説明しておきましたよ!)
何故20何年も気が付かなかったのか
テレビなどでも共通語を話すアナウンサーやタレントたちが「南北」って言葉を発しているのは何度も私だって聞いていたはずですよね。会話の中で「南北線」をBで発音しようがPで発音しようがどっちでもいいというか、そこまで気が付けないと思いませんか。
- [b] 有声・両唇・破裂音(時に摩擦音)
- [p] 無声・両唇・破裂音
ですよ。有声無声の違いしかない、すごく似た音なんですもの(笑)
あのとき、クラスで堂々と「なんぽくせん」と書いてしまったことで事故になり、かえって良かったのかもしれません。
それはそれはもう、びっくりして札幌に残っている両親や友人に、確認しましたよね。そしたらやはり皆Pって発音していたと言います。「東京の人が皆Bって言ってる!」と言っても、「あーそうなんだ。」という全員薄い反応でした(笑)
帰省した時に、南浦苦戦のホームで英語表記を注意して見てみたら、ちゃんと「なんぼくせん」とBで書いてあるではないですか!こういう事件があったからこそ、私は注意して見てみましたが、普通見ないですよね。
札幌にある地下鉄は、南浦苦戦ではなく、ちゃんと南と北を結ぶ南北線でしたよ。
「北」にはホク・ボク(BOKU)って読み方があることはもちろん知っていたのですが、何か「南北」だけは例外的にPだと思ってたんですよね…。
道産子日本語教師が気をつけていること
東京での生活で、仕事で、言わないように気をつけていることです。
アクセント 頭高型
上でご紹介した、「いす」「次」「5番」などもそうですが、共通語で中高型、尾高型、平板型で発音されるものが、北海道では頭高型(1拍目が高い)になることが多いのです。
他にも「幼稚園」「コーヒー」「包丁」などがあります。
自分のアクセントに自信が無くなったときは、例えばこんなサイトでも見てみるといいでしょう。
OJAD オンライン日本語アクセント辞書
http://www.gavo.t.u-tokyo.ac.jp/ojad/
時々、自分の発音全てに自信が無くなってきて、共通語で頭高型のアクセントで言われるものをわざわざ平板型などに変えて発音してしまったりします(汗)
文法:Vさる/らさる
これです。本当に、これ私にとっては便利な表現で札幌に住んでいたときはよく使っていたんですよ。
札幌に帰省して、地下鉄(もちろん南浦苦戦)に乗ったら、ドアに米のポスターが貼ってありました。そこには、ほかほかの炊きたての白いご飯を食べる一人の男性が幸せそうな顔をして写っています。その男性の横に吹き出しがあって、こう書いてありました。
「あ~食べらさる」
意味わかりますか。
共通語だと、「あ~食べちゃう」あたりになるでしょうか。このポスターの吹き出しだとおそらく、「食べすぎだってわかってるけどあまりにもご飯が美味しいから、つい食べちゃう」というような、意思に反してとか、意図せずに自然と「食べる」という動作をしてしまうという意味です。
この文法の活用は以下の通りです。
Ⅰグループ:さる 例)読まさる 開かさる
ない形 + Ⅱグループ:らさる 例)見らさる 食べらさる
Ⅲグループ:らさる 例)しらさる 来(こ)らさる
同僚の教師にこの文法を教えたところ、「何か敬語みたいだね」と言われました。あー確かに。
秀(2018)は、このVさる/らさるの意味を大きく「自発」と「結果」の二つに分けて考えたうえで、この文法の使用実態を調査し、世代や性別による違いを示しています。
秀(2018:3)はこの二つの意味を以下のように定義しています。
- 自発:主語が有情物主語(一人称)であって、話者が意図せずに自然とある動作をしてしまうことを表す用法
- 結果:主語が無情物主語であって、話者の予想意図しない結果がいつのまにか起こったことやその残存を表す用法
上記の「食べらさる」の例は「自発」に該当しますね。他、例えば、「ニュースを見ると気分が暗くなるから見ないと決めたけど、テレビが付いていると『見らさる』」などでしょうか(これを書いている今はコロナ禍です。)
二つ目の「結果」は、「エレベーターの中で壁に背中をつけて寄りかかっていたら、ボタンが『押ささった』(違う階に止まっちゃった)」また、「スマホが調子悪くてタップしても反応しなかったけど、時間を置いて再度やってみたら無事『押ささった』(良かった)」のようにも使います。
Vさる/らさるは、何か使いたくなっちゃうんですよね。共通語に該当する表現はいくらでもあるはずなのに、Vさる/らさる以外の表現が思い浮かばないことも、最初は良くあったんです(笑) 個人的には「言わさる」「考えらさる」なども使いたくなります。
まとめ
北海道から他県に移動した組は、特にVさる/らさる、アクセントの頭高型については「あるある」と思ってくださったのではないでしょうか。
また、今住んでいるところを離れて他県で日本語教師デビューしようとしている方々、もしかしたら、あれもこれも「方言」かもしれませんよ。特に、私と同じく北海道(特に札幌)で方言を話している自覚が無いという方々。自分たちの話している日本語が共通語と何か違いはあるのか、どんな違いがあるのか興味を持って過ごしましょう(笑)
と言っても、私も未だに養成講座の受講生の方々に「先生はどこの人なんですか」と言われます。
北海道訛りが残っているのか、単純に私一人がおかしいのか。また、授業中は日本語母語話者が相手でも、あるスイッチが入って普段と違う話し方をしている部分はあるのでその影響なのか、それとも仕事を離れてプライベートで会う人たちにも同じように思われているのか。
ちょっとわかりません。「しまった今の北海道弁だ!」と自分で気づき、言い直すこともあるんですが。タイトルは「苦労したこと」ではなくて「苦労していること」ですね(汗)
みなさんもぜひ、今一度自分の話している日本語に意識を向けてみてください。新しい発見があるかもしれませんよ!
参考
- 石黒圭(2016)『日本語は「空気」が決める 社会言語学入門』光文社新書
- 高見澤孟監修、高見澤孟・ハント蔭山裕子・池田悠子・伊藤博文・宇佐美まゆみ・西川寿美・加藤好崇著(2016)『新・はじめての日本語教育1[増補改訂版]日本語教育の基礎知識』株式会社アスク
- 秀舞子(2019)「北海道方言における自発の助動詞サルの使用実態:主に世代差・男女差について」『藤女子大学国文学雑誌(101)』pp1-16 藤女子大学日本語・日本文学会
- ヒューマンアカデミー(2019)『日本語教育教科書 日本語教育能力検定試験 完全攻略ガイド第4版』翔泳社
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