SenSeeライターおおたです。
現役の方でも、今は国内で活動しているけど日本語教師デビューは海外だった人、もう何年も海外で日本語教師をしている人など、多かれ少なかれ海外で日本語教育経験がある人は多いです。
このサイトでも、色々な先生が色々な国の日本語教育について書いてくださっているので面白いですよね。
筆者は、もう10年前の話にはなりますが、ロシアのノボシビルスクで日本語教師として働いていました。
ノボシビルスクは、モスクワ、サンクトペテルブルグに次ぐ、ロシアの中で3番目の大都市であり、シベリアの首都とも言われるところです。また、筆者の故郷、札幌の姉妹都市です。
まずは、仕事編です。
ロシアで日本語教師 メインの仕事、日本語教育について
筆者の勤め先は、色々な形でノボシビルスクと日本、札幌の人々との交流を促す機関であり、日本語教育はその一環として行われていました。とは言っても日本語が堪能で日本語教育が専門のスタッフの下、面白い日本語教育が経験できたと思います。
学習者
学習者の多くは大学生や社会人、主婦などで皆、日中は仕事や学業をこなし、夕方から夜にかけて日本語のクラスを受けに来ていました。
年齢、訪日経験、日本語(外国語)学習歴、日本人(外国の人)との交流経験、日本語を学ぶ目的、性格…、どれを取っても本当に様々で、「こういう人が多い」と言うのは難しく、共通点はただ一つ「日本語に興味がある」ということです。それだけに、皆意欲的だったのを覚えています。
活発なクラス、しーんとしているクラス、ひよっ子教師に気を使って沢山発言してくれるクラス(笑)、20代女子(当時の私も含め)だけで女子トークをするクラス(笑)、クラスの雰囲気も様々でした。
授業
授業についてはいくらでも書くネタはあるのですが、教科書と使用言語に絞って書きます。
教科書について
ちょうどその機関の独自のテキストを作っている最中でしたが、筆者の担当しているクラスのレベルのテキストはまだなかったため、J.Bridge for Beginners,vol.2とJ.Bridge to Intermediate Japaneseを使っていました。
このテキストは日本ではあまりメジャーではないかもしれませんが、ノボシビルスクの日本語教育関係者の間では、比較的評判であり、他国においてもそれなりに使っている機関はある印象です。
第二言語習得の理論が基になっている、少し変わった構成のテキストなので、教師、学習者両方にとって斬新で面白いと思います。また、教師があれこれ準備をしなくても、このテキスト1冊あれば授業ができるので、楽です(笑)
今後、海外で日本語教師デビューし、あるクラスをどーんと一任されてしまったときは、このテキストはいいかもしれません。
使用言語について
面接時は、授業中に英語を使ってもいいと言われていたのですが、意外と英語学習経験のない人も多く、英語に頼ることはできませんでした。若い人は英語がよくできる人が多い一方、当時の筆者(26歳)より少し年上かそれ以上の方々は、学生時代英語は必修科目ではなく、ドイツ語を始め他の外国語を学んでいたために、英語は全く知らないという方も多かった印象です。
かといって筆者はロシア語で授業ができる能力はなかったので、ティーチャートークで頑張るしかありませんでした。しかし、教師デビューしたてで授業以外の仕事にも追われながら、養成講座の実習のように全台詞を考えて教案に書くという丁寧な授業準備が毎日毎日できていたわけではありません(汗)
日本語学習歴が長い学生や、英語が大丈夫な学生がロシア語で皆に通訳してくれたことも何度もあります(笑)
ロシアで日本語教師 日本語教育以外にどんな仕事してた?
勤め先の性格上、日本語の授業以外にも色々な仕事をしていました。国や機関によっても違うかと思いますが、海外でネイティブ日本語教師として働く場合、専任講師として雇われることがほとんどで、多かれ少なかれ授業以外の仕事をすることもあると思うので、心づもりをしておきましょう。
イベント
勤め先のホールで、クリスマスやひな祭りなどのイベントの他、茶道や剣道など日本文化を紹介するイベントがしばしば開かれていました。ノボシビルスク市内に住んでいる日本人の方々やプロの方々にもお手伝いいただいたことも。日本で画家として活動している方の絵の展示会なども開かれたんですよ。
私自身も、書道のデモンストレーションを何度もやりました。私は子供の頃も習字は習ったことが無く、筆で字を書くのは中学生の授業以来だったのですが、大人になってからやってみると意外と楽しいです(笑)
また、飲み物や軽食が用意されて、日本語の学生とノボシビルスク市内の日本人が交流する機会も何度もありました。
スピーチコンテスト
ノボシビルスク市内の日本語学習者全員がエントリーできるスピーチコンテストもしばしば色々なところで開催されており、筆者の職場が会場だったことも数回ありました。スピーチコンテストに出場予定の学生への指導(原稿チェック、発音指導、質疑応答練習)はもちろん、コンテスト当日、市内の日本人教師、ロシア人教師と共に審査員や質問係などもやりました。
翻訳校正
職場のロシア人の先生方が開発途中だった日本語の教科書や、どこかから依頼されてロシア人の先生方がロシア語→日本語に翻訳した書類などをもう一度読み直し、細かい文法ミスをチェックしたり、よりわかりやすい日本語に書き換えたりする翻訳校正を頼まれることは多々ありました。
その他
プライベートレッスン、学会やイベントでのプレゼンテーション、ノボシビルスク市のロシア人、日本人の日本語教師が大集合しての会議…
あとは、仕事と言うには微妙ですが、こんな変わったことも頼まれました。
スタジオでアナウンサーの横に職場の上司と一緒に座って話すスタイルも、職場の和室で浴衣を着て歩いてみたり、書道のデモンストレーションをしたりというのもありました。インタビュー時、ロシア語が話せない私は、いつも職場のロシア人の先生が同時通訳をしてくださいました。
職場の上司を含め数人が審査員でしたが、ノボシビルスク市内で寿司屋を経営する人たちが数人集まって、寿司を出してくれました。私たちは食べてどれが好きか伝えるだけです(笑)ロシアの寿司は、サーモンやイクラ、野菜、チーズetc.全部一緒くたになってご飯に巻かれているのが多く、やはり日本のとは違うのですが、それはそれで美味しく感じたものです。(ちなみに、イクラはロシア語です!)
まとめ
以上、ノボシビルスクで、筆者が日本語教師として体験した仕事を紹介しました。
次は生活について詳しく書きます。
筆者はそうでした。旅行先としてもそこまで選ばれる場所ではないので、生の声を聞く機会も少ないですよね。
しかし、少なくとも日本語教師間では、ロシアはそこまで珍しい国ではありません。
また会いましょう。
コメント