学習者の心をつかめ!win-winになる授業のコツ

最近、授業をしていてもおもしろくないなあ、毎回同じようなことの繰り返しで学生も飽きてるかも…なんて思っている方、いませんか?教え始めて2、3年経ち、教える内容は大体把握できたし、学生たちの反応も見えてきた…そんな時期に陥りやすい悩みですね。

授業がおもしろくない原因は何でしょうか?

その日の文型がおもしろくないせい?文型練習がパターン化してるから?日本語学校で、進め方が決められてしまっているから?

…どれもあるかもしれません。

でも、この記事を読んでいるみなさんは、できるだけおもしろい授業、楽しい授業、さらには学生たちに役立つ授業をしたいと思っているはず。そこで、この記事では、学習者も教師もワクワク楽しくなり、かつ日本語の習得も進むような授業のヒントをお伝えしたいと思います。

授業は、実は教師の考え方一つで楽しくなるんです。文型も日本語学校指定の進め方も関係ありません。学習者も教師もwin-winになる授業を、ぜひ一緒に考えていきましょう!

目次

みなさんの授業は楽しいですか?

授業のヒントに入る前に、まず、ご自分の授業をちょっと振り返ってみてください。どんな授業をしていますか?みなさん自身、授業を楽しんでいますか?ここでのキーワードは「楽しい」です。1章では、「楽しい授業」について考えてみたいと思います。

マンネリ化に注意!

ある程度授業に慣れてくると、文型の導入に使う場面や例文もだいたい決まってきて、それに対する学習者の反応も予測できるようになります。

そうなってくると、何もかもが手探りだった新人の頃のように必死に文法や語彙を説明したりすることも少なくなり、学生からの質問も「想定内」…。いつもと同じ文型導入をして、いつもの練習に移り、一通りやらせて終わる…そんなふうな授業になっていませんか。

つまり、「マンネリ化」です。それでは、学習者も教師もおもしろくないですよね。学習者の側はパターンが読めるようになり、例えば教師が「〇〇ページを読みましょう」と言う前にもう読み始める人がいたり、反対に読むのが面倒なので口を動かさない人がいたり…。

教師としては、細かく指示しなくても学生がどんどん次のことをしてくれるので楽、という面がある一方で、毎回同じ感じでつまらない…。

この「いつも同じ感じ」の授業を何とかしたい。でもどうすればいいのかよくわからない。そう思っているうちにまた次の授業の日が来て、また同じように授業をする…。このような悪循環に陥ってしまっている方、要注意です!

このまま「いつもと同じ」で「何だかつまらない」授業をしていると、授業のレベルが上がらず、学習者の理解が進まないだけでなく、あなた自身が日本語教師を続けることに嫌気がさしてしまう可能性もあります。

このあたりでマンネリ化から脱しましょう!せっかくこの仕事を選んだのですから、どうせなら、レベルの高い授業を、しかも教師も学習者も楽しく、できたらいいと思いませんか?

みなさんの授業は楽しいですか?

みなさんにお聞きします。みなさんの授業は「楽しい」ですか。「ハイ、楽しいですよ!」と即答できる人は少ないかもしれません。(そもそも楽しいと思っている人は、この記事を読んでいないかもしれませんよね。)

章のタイトルにもしていますが、先ほどから「楽しい」という言葉を頻繁に使っています。別に楽しい授業だけが「いい授業」とは限らないんじゃないの?と思う方もいらっしゃるでしょう。

もちろん、そうです。

ただ楽しければいいというものでもないし、また「楽しい」の定義も人によって違うでしょう。みなさんのイメージする「楽しい」授業とはどんなものですか?おしゃべりがたくさんできる授業?日本のアニメや映画などを見る授業?自分の好きなことを自由にやっていい授業?

例えば中上級のクラスでよくあるのが、本当はディスカッションやディベートをするべき時間だったのに話が脱線して別の話で盛り上がって終わった…。このような授業を「楽しかった」と表現する学習者もいます。

でも、本当にこれが目指すべき「楽しい」授業でしょうか?答えは「NO」ですね。私がここで敢えて言う「楽しい」とは…

  • 学習者が今学習していることをきちんと理解し、それを使って何らかのコミュニケーションがとれた、という実感が持てる。
  • その日の授業で満足感や達成感が得られる。

ということなんです。ちょっと考えていたのと違う…と思われるかもしれません。でも「何かしら得るものがある」というのは、成人を教える場合には、とても重要になってきます。

ここで注意しなければならないのは「得るもの」というのが「知識」だけではない、ということです。むしろ知識よりも達成感や充実感のほうが重要と言えるかもしれません。

私たちが扱っているのは「ことば」ですが、ことばを学んだ先には「コミュニケーションをとる」という究極の目的があります。そう考えると、私たちがコミットすべきなのはコミュニケーションであって、知識を覚えさせることではない、ということなのです。

東アジア圏の学生の中には知識を覚えこむことが最も大切だと思っている人もいます。でも、そういう学生って、テストの成績はいいけど全然話せない…ということがありますよね。それは、本当の意味で「ことば」を学んだことにならないと思うんです。

本題に戻ると、「得るものがある」から「学校に行こうかな」という気になり、学校に来れば「授業にちゃんと参加しようかな」と思う。そして、ちゃんと参加してみたら得るものがあった!…さらに学校で「得た」ものを外で試してみたらうまくいった!…やっぱり授業は有意義だ!

学習者がこのように思ってくれたら、しめたものです。不思議なことに学習者がこのような手応えを感じてくれた時は、教師も「楽し」くなるんです。そうすると、じゃあ次はどんな手を使おうか、どんな作戦でいこうか…と次の授業を考えるのが楽しくなってきます。

これが、私の考える「楽しい」授業です。どうですか?みなさんのイメージとはちょっと違ったかもしれませんが、こんな授業ができたら楽しくありませんか?ワクワクしてきませんか?

「文型導入」で授業は8割決まる!

さあ、いよいよ核心に迫ってきました。でも、「楽しい授業」をするためには、まだまだ押さえておかなければならないポイントがあるんです。2章では、「楽しい授業」をするために必要なことを順を追って考えていきます。

授業で大切なこと

では、1-2で述べたような授業にするために、何をしたらいいでしょうか。急に「達成感」だの「満足感」だの言われても困りますよね。順番に考えていきましょう。逆算しながら考えてみます。

どんな時「達成感」を得られるか。新しい文法を覚えた?たくさんドリルをやった?テストでいい点が取れた?…どうでしょう?

どれも外れてはいないと思いますが、一番は、「その日の授業が理解できた」こと、ではないでしょうか。もう少し言えば、授業内容が理解できたということは、そのことによって「その後のドリルや会話練習なども有意義にできた」ということになります。

つまり、その日・その時間の文法や語彙を「理解すること」が最優先事項と言えるのです。そんなの当たり前!という声が聞こえてきそうです。でも、これ、簡単そうで簡単じゃないんです。人によっては、文法事項は「はい、これ覚えてね」と言ってしまっていませんか?

授業は「覚えさせる」ものではなく、「理解できるように導く」ものです。頭では「理解」させているつもりでも、実際にはそのように導けていない先生が意外と多いのです。

では、学習者が「理解できる」ようにするには何が重要か。これは、間違いなく「文型導入」です。「文型導入」がしっかりできてさえいれば、もうあとの練習は大してやらなくてもいい、と言っても過言ではないくらい、重要な意味を持っています。

初級でも中級でもいいですが、みなさんは「文型導入」に何分くらいかけていますか?もし、5分くらい…という方がいたら、それははっきり言って「文型導入」ではありません。

以前、日本語学校の採用面接を受けにくる先生に模擬授業をお願いする際「文型導入の部分を20分くらいお願いします。」と言ったら、「導入部分を20分ですか?私はいつも「導入」は5分くらいなんですが…。」と返されてしまったことがあります。模擬授業を見たら、その先生の「導入」は、私からすれば「導入の導入」あるいはただの「例文の提示」でした。

このような導入で、学習者が「理解」できるわけがありません。理解できなくても、養成講座で紹介されるような一般的なドリルはできてしまうので、教師からすると理解してドリルをやっているかのように見えてしまいますが、実は違う、ということがよくあります。これでは、せっかくのドリルの意味もなくなってしまいます。

では、「理解」できるようにする「文型導入」とは、どんなものなのでしょうか。

「文型導入」って何?

ここまで読んで、みなさんの中には、「導入も大切だけど、その後の練習をたくさんさせることのほうが意味があるんじゃないの?」と思われた方もいるでしょう。でも、やっぱり最も大切なのは導入、しかもちゃんと「理解に導く」導入です。これさえピタッと決まれば、その日の授業は8割方終わったも同然です。

では、なぜ「文型導入」がそんなに大切なのか。そもそも「文型の導入」って何なのか。まずここから見直してみる必要があります。

みなさんは、授業で文型の導入に入るとき、どのようにしていますか。

私が見たことがあるのは、まず最初に「はい、では今日は〇課の△△という文法を勉強します」と宣言してから始めるパターン。または、それをホワイトボードの上の方に書いてから始める…。あるいは、少し例文を提示したところで同じように宣言する…。

私は、文法・文型については一言も触れずに始めます。なぜなら、日本語教育の視点で勝手に切り取られた「文型」をそのまま学習者に提示しても無意味だからです。たとえば「~てはいけません」を勉強する課だったとしたら、この文法、正しくは「<動詞のて形>+は+いけません」ですよね。

覚えてほしいのは「てはいけません」という音のかたまりではなく、この文型の表す意味ですから、これを覚えるくらいなら、その学生にとって意味のある例文を1つ覚えたほうがずっと有効です。

このような切り取り方、養成講座などで初めて見た時も「おもしろい(変だ)な」と思いませんでしたか?一般の日本語ネイティブからしても特殊だと思います。

だとすると、そんな不自然なものを、非ネイティブに、しかも意味がわかる前に提示しても、それはただの音/文字の羅列であり、場合によってはそれが意味の理解の妨げになってしまう可能性もあります。

では、「導入」でやるべきことは何か。

日本語教育における「導入」とは、「『概念』を一致させること」です。学習者が成人の場合、自国での経験からある程度の「概念」はすでに持っています。母語や公用語などでは表現することができるわけですから、その「概念」と日本語表現を結び付けるのが、「導入」の役割なのです。

例えば、先ほどの「~てはいけません」も、自分の国では使う場面ももちろんあったでしょうし母語での言語表現もあるでしょう。

なので、それを想起させるようなシチュエーションを作る、つまり、学習者が思わず(言語を問わず)「あ、ここで〇〇してはいけませんよ!」と言いたくなるような状況を作り出す、ということが最も重要です。

その状況で、「〇〇と言いたい!でも日本語での表現がわからない!」という気持ちにさせ、その時に、日本語での表現を提示する。すると、何も説明などしなくても、すっと取り込まれます。

これが、「概念を一致させる」ということです。これが、目指すべき「導入」です。「概念」が一致する、ということは「理解できた」ということにつながっていきます。ここで「概念」が一致してしまえば、あとは日本語における文法のルール(動詞の形など)をおさえるだけです。

そのために必要だと思えば、口頭練習などのドリルをしたり、書いてみたり、すればいいのです。

学習者の心をつかむ「文型導入」をしよう!

ここまでで、授業において「文型導入」がいかに大切か、そしてなぜ大切なのか、わかっていただけたと思います。いよいよ最後に、どうしたらいいか、を考えていきましょう。

先に言ってしまうと、理想的なのは、学習者に「明らかに文法の勉強をしている」と思わせない展開(架空の設定ではなく現実に起こっている課題のように見せる)だけど、実は文法が習得できていた、という授業。(笑)

そんな魔法みたいなこと、できっこないじゃん!と言われそうですね。確かにちょっと目標が高すぎるので、せめて、それに近い雰囲気を作り出してみましょう。

【その1】

例えば、人に「申し出」をする表現の「(私が)~ましょうか」。みなさんは、どうやって導入していますか?絵カードやイラストを見せる?言葉で説明する?

前項の、「概念を一致させる」という導入の意味から考えると、学生たちが思わず「〇〇しましょうか」と言いたくなる状況を作り出せればいいわけです。みなさんなら、「どんな時/どんな状況で」その表現を使いますか。

  • クラスの先生が、ものすごくたくさんの荷物を抱えて教室に向かおうとしている。
  • 小柄な先生が、高いところにあるものを取ろうとしている。
  • 右手をケガした人が、書類に字を書き込めなくて困っている。
  • パソコンが苦手な人が、操作に四苦八苦している。(私はパソコンが得意だ)

どうでしょう?思わず手伝いたくなりましたか?

これを考えたうえで、次にみなさんのクラスの学生だったらどんな時に手伝ってくれようとするか、考えてみてください。過去の実際の出来事などでもいいですね。

状況が浮かんだら、それを授業の始めから、何なら休み時間から、そこに入りこんで状況を作って(演じて)みてください。…学生は手伝いを申し出てくれそうですか?

一番上に出した例だったら、

  • 休み時間が終わって授業を再開するときに、わざとたくさんの荷物を持って教室に入ってみる(その前に、クラスの学生が教室に入っていることを確認してくださいね。誰も見ていない・聞いていない、だったら意味がありませんから)
  • (それが難しければ)たくさんの物(集めた添削物や教科書、絵カードなど)を持って教室から出ていくところをやってみる。
  • 教室を移動するふりをして学生たちの鞄をみんな持ってあげるパフォーマンスをする…

どうですか?みなさんのクラスの学生は「先生、持ちましょうか」と言ってくれそうですか?無言で手伝ってくれる学生がいたら、チャンスです!

その時にその学生(及び全員)に向かって発話を促し、一旦自由に言わせた後、「もちましょうか」を提示すれば、みんな「あ~…(なるほど、そう言うのか)」という反応をしてくれるはずです。

ここで重要なのは、この状況を上記のように口で説明したり、絵カードで見せるだけではダメだということです。説明したり、絵カードを見せて、「こんな時、どうしますか。何を言いますか。」などと言っても、おそらく「~ましょうか」は引き出せません。

思わず手伝いを申し出たくなる時ってどんな時ですか。絵カードの中の知らない人物に対して、そんな気持ちになれと言っても難しいのではないでしょうか。

知っている先生、あるいはクラスメートだから、この表現が生きてくるのです。大切なのは、「この状況で、こう言いたい!」という学習者の「気持ち」です。

【その2】

違うパターンも考えてみましょう。「ましょうか」のように、実際にやってみることができる導入ばかりとは限りませんよね。例えば、経験を表す「~たことがあります」。初級では教えにくいものの一つですね。

この文型を導入するとして、みなさんなら、まずどの動詞を選びますか。

「食べたことがあります」?「行ったことがあります」?…もっと珍しい体験?どれでもかまいませんが、できるだけ、「クラス全員が話せること」にしてください。

なぜなら、「導入」をするときには、クラス全員を「巻き込んで」ほしいからです。導入にどの動詞を使うか、というのは、すなわち「どんな話題を設定するか」ということです。食べ物の話題にするのか、旅行の話題にするのか、または何か「おもしろいことをした体験」という話題にするのか…

ここで、数人の人しか答えられないような話題にしてしまったら「導入」の意味がなくなってしまいます。概念を一致させることができないからです。ありがちなのは、何人かの学生に話題をふって、そこでもう文型を提示してしまう、とか、自分の経験談のようなものを話して導入(のつもり)にする、というようなもの。

それだと、おそらくほとんどの人は何をやっているのかわからないまま、練習に進むことになります。

そうならないために、「クラス全員を巻き込める」話題設定が必要なんです。

例えば「旅行」なら、国内・外を問わず、小さいころから今まで、一度くらいはどこか自分の町以外のところへ行ったことがあるでしょう。それをテーマにして、クラス全員に問いかけてください。「みなさんは、今までにどこへ行きましたか?」「旅行しましたか」

そして、全員から答えを引き出します。なかなか答が出てこない学生には、例を出すなどしてヒントを与えたりしながら進めます。そして、ここからがポイントですが、誰かが何か答えるたびに、しっかりリアクションしてください。できれば他の学生たちともコミュニケーションを取りながら。

あ、〇〇さん、△△へ行きましたか!私もです。とてもきれいなところですよね。

×××ですか。◇さんの町ですね。◇さん、どうですか。

△△ですね。さっきの〇〇さんと同じですね!あれ、一緒に行きましたか?

このようにすると、もう答え終わった学生も、クラスで行われている会話の中に入っていなければならないという意識になります。

つまり「教師対学生一人」のやり取り、という位置づけではなく、クラス全体で話している時間、という雰囲気を保ちながら、一人一人の答えを引き出していくというイメージです。

ただし、あくまでも「経験」を引き出したいので、何年前に行ったか、誰と行ったかなど、細かいところはあまり話を広げすぎないようにして、「どこどこへ行った」という印象が強く残るようにします。(これは、教師がうまーく誘導してくださいね。)

こうすることで、誰がどこへ行ったのか、全員で共有できます。学生たちは、何の勉強かわからないけど、クラスで「旅行」の話を楽しく展開させている、と思ってくれるでしょう。そうすると、もっと自分の経験を話したい学生も出てきます。

A:先生、私は、〇〇も行きました。△△も行きました…。

B:あ、私も!

こんな時に使えるのが、「~たことがあります」という文型ですから、ここで文型を提示します。

T:Aさんは〇〇へ行ったことがあります。。Bさんも〇〇へ行ったことがあります。

どうでしょうか。導入で大事なことは、「自分の経験を話したい!」という「気持ち」を引き出すことです。それには、一人二人の経験談を聞いただけでは不十分です。「あ、私も、ある!ある!」とクラスの学生みんなが自分に置き換えて考えられることが大切なんです。

やり方は文型によって様々ですが、クラス全員を巻き込んで学習者たちの「心」(=気持ち)をつかむ。これが、最も効果的な導入方法です。補足すると、文型を提示したら、今度はその文型を使って自分のことを話します。

これまでに行った場所は、もう、みんな一度聞いていますから、その場所を文型に入れ込むだけです。動詞は「行った」だけですから、動詞の形の変換など余分なことに頭を使う必要もありません。

ということは、今クラスでやっていることは「自分の旅行の経験を話す」という、内容のある活動であり、決して「文を作る練習」ではない、ということになります。両者の大きな違い、わかりますか?この記事の最初のほうで、「楽しい授業」とは何か、をお話しし、

  • 学習者が今学習していることをきちんと理解し、それを使って何らかのコミュニケーショ ンがとれた、という実感が持てる。
  • その日の授業で満足感や達成感が得られる。

という2つのことを挙げました。「自分の旅行の経験を話す」という活動なら、これら二つのことを満たすことができています。ただ、「文を作る練習をする」のとは大違いです。私の言わんとすることが少しわかっていただけましたでしょうか。

このような感じで「文型導入」をすると、とても5分では終われませんし、そもそもどこまでを「導入」、どこからを「練習」と呼ぶのかもあいまいです。(私は「練習」とも呼んでいません。)

要するにこれが、この項の初めに書いた、「学習者たちに「文法の勉強をしている」と思わせずして文法の勉強をしている」という「理想的な」授業です。

「楽しい授業」でwin-winになろう!

ここまで読んで、次の授業のイメージが湧いてきましたか?みなさんの受け持っている学習者が、どんなことに反応するかは未知数です。ここに書いたことが全てのクラス、全ての学習者に通用するとは限りませんが、大切なことは、学習者の心理をしっかり理解し、それに沿って考えることです。

みなさんが学習者だったら、どんな授業がいいですか?またどんなことをやってくれたら役に立つと思いますか?相手の立場に立つことからスタートしてみてください。上にも書きましたが、「学習者が楽しい授業」は、「教師も楽しい授業」です。

どうせ仕事をするなら、もちろん楽しいほうがいいでしょう?そして、それが誰かの役に立つなら、こんなにうれしいことはありません。これが、「win-win」です。

さあ、明日から「楽しい」授業をして、win-winになりましょう!!

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