筆者の日本語教師人生 ~何かと「選択」に迫られる場面が多い筆者の人生を包み隠して公開(笑)「日本語教師デビューしてから」編

前編の「日本語教師になるまで」編を読んで、こちらの記事にいらっしゃった方、ありがとうございます。
何らかの検索をしてこの記事をクリックしてくださった方もありがとうございます。

前編「日本語教師になるまで」編では、一般人が自身の人生をちょこっと包み隠して書きました。(嘘は書いていませんが、スペースの関係上「断捨離」もしていますし、公開したくないことは当然省いていますからね(笑))

この記事を読んでくださっている方は、きっと今人生の岐路にあって、似たような経験をしたことがある人を探しているんじゃないかと思います。選択に迫られていたり、何か迷っているとき、他人に「様々なリスクが想定できる中、どうしてその道を選んだのですか」「そんな心境のときはどうやって過ごしていたのですか」「その道を選んで今どう思いますか」と聞きたくなることってありますよね。

今回は、自分語りをしながら、こういった疑問に私なりに答えていきます。

特に、日本語教師を考えている学生の方や、一度社会に出て働いてみたけどやっぱり日本語教師やってみようかなという方などへ「そんなこと書いてあったな」くらいに少し印象に残せる部分があったら嬉しいです。

目次

修士修了したらどうする?→日本語教育の世界へ 

エジンバラ大学大学院の修士課程に進学し、応用言語学専攻の学生になりました。イギリスの修士課程は基本的に一年なので、9月に入学し、記憶では6~8月ぐらいはひたすら修士論文提出に向けて、本を読んだりデータ分析したりしていました。

このとき筆者は24歳でしたが、初めての経験に戸惑う日々でした。

  • スーパーに行って茄子ってこんなにデカいものだっけ?と思った初めての一人暮らし
  • IELTS対策でやっと慣れたイギリス英語ともまた違うよくわからないスコットランド英語
  • ネイティブではない教授がお話しになるこれまたよくわからない英語
  • 文化が違いすぎる寮メイトたち
  • やたらと敏感に反応する非常ベル(頻繁に鳴るので、皆驚かないし逃げない。非常ベル設置してる意味・・・)。

もともと容量が少ない頭で毎日論文や本を読み頭がくらくらし、ある科目の試験では、私卒業できるのかと心配したほど低い点数を取り(笑)(最終的には修士論文で少しいい点数を取り、ちゃんと卒業しましたよ☆)

それなりに大変なことはあっても、私にとっては会社員時代よりよっぽどいいと思ったし、憧れていたイギリスで好きなことを学べ、エジンバラという場所も自分にとってはとても住みやすく、帰国したくないと思ったほどです。

修士論文で、日本のトーク番組内で行われている日本語の会話をデータとして扱う中で、世界の一言語としての日本語をもっと知りたいと思うようになりました。日本語教育に出会った19歳から5年目でやっと、実際に日本語教育を「する」ことに興味を持ったのです。

ここで、なぜ「このまま博士課程に進んで研究者を目指さなかったのか」と思う方もいらっしゃるかもしれません。…といって、目指さなかった理由を今書こうとしたのですが、改めて考え込んでしまいました(笑)

理由は色々あったのでしょうが、少なくとも研究者を目指す道に入ってしまう前に、まだ新しい世界を見てみたい(大学院から出て再び働きたい)と当時の私は思っていたと思います。まだ25歳でしたからね(笑)

新たに興味を持った「日本語」そのものが使える「日本語教育」という仕事があるのだ。

「教育」に関してはこのときまだ正直そこまでの興味は無かったものの、「教育」に興味があるクラスメートたちの影響も受けて(そもそも応用言語学専攻の学生はそういう人が多い)、じゃあ私も教育やってみようかなぁという程度だったと思います(笑) 自分にとって新しい「日本語教育」の世界で働く中でまた研究したいテーマが見つかったら博士課程に進学しよう、そんな感じでした。

こんな風に考えていながらも、ここでもまた、日本語教育の世界になんか入って大丈夫なのかと悩みました(笑)
会社を辞めてイギリスの大学院で応用言語学を学ぶという選択をした時点で少しは進路が狭まるということがわかっていたにも関わらず、です。

一般企業への再就職という道も希望するなら、(当時)25歳、会社を辞めてまだ2年ぐらいしか経ってない今だったらまだ間に合う…その道を捨てて本当にいいのか?仕事がちゃんとあるのかもよくわからない日本語教育の世界に飛び込んで本当にいいのか?

帰国後は、とりあえず地元札幌の日本語学校の門をたたいてみました。筆者は大学時代に副専攻で資格だけは取っていたので、420時間コースの受講者の方々に混じって実習系の科目にだけ参加させてもらっていました。

この時点ではまだ「一般企業への就職」もまだ視野に入れてはいましたが、気がついたら日本語教育機関での就活をしていました。実習を修了し、地元札幌や東欧などの学校に応募し、失敗して少し焦ってた頃、通っていた日本語学校のスタッフから一本の電話をいただきました。

ロシアのノボシビルスクで札幌出身の日本語の先生を探している、というお話しでした。
数日後、その機関のスタッフとスカイプ面接をし、あっけなく仕事が決まりました。

1年で辞めて帰国する?2年目残る?

日本語教師デビューを果たしたのは、私の故郷、札幌の姉妹都市であるロシアのノボシビルスクでした。勤務先の日本語の先生方はロシアの方でしたが、とても日本語が堪能で、仕事だけではなく生活面でも助けてくださいました。

教える対象は、社会人、学生、主婦など様々で皆、日中は仕事や学業で忙しい中それぞれ何らかの目的を持って日本語を学んでいました。日本語の授業担当を中心に、スピーチコンテストの審査員、日本人と現地の人の交流を目的としたイベントのお手伝い、学会発表、日本語に翻訳した書類の校正など、様々な仕事を経験させてもらいました。

買い物など最低限の生活に必要なロシア語すらままならなかった私は、職場の日本語教師、学生、市内の他校に勤める日本人の日本語教師など、どれだけの人に、どれだけお世話になったかわかりません(__)

それでも、慣れない環境で、大なり小なりカルチャーショックも受けながら、慣れない仕事の山を片付け、一時期は疲れ切り、大学院時代過ごしたエジンバラが好きすぎて、エジンバラシックになったこともありました(ホームシックになったことはありません(笑))。

この仕事は最長2年まで延長できたのですが、渡露して半年経ったぐらいで2年目をどうするか考え始めました。この辺は周りの人に相談しながら随分長い間迷っていたような気がします。

結局2年目は残らず、1年で帰国するという決断をしましたが、  このときは色々な理由をつけていた気がします(笑)。全て本当の理由でしたが、一番は簡単に言うと「日本語教師としてのスキルをあげたい」ことで、それに気づいたのは帰国を決めただいぶ後です。

ノボシビルスクでは沢山の面白い経験をさせてもらえるけど、 ここで求められているのは日本語教師としての私というよりは、日本人としての私ではないか。それはそれで嬉しいのだけれど、純粋に日本語の授業だけに集中して取り組み、先輩の日本人日本語教師が沢山いる環境で、日本語教師としてのスキルをあげたい。

現地で残っている仕事をしながら、日本国内の日本語教育機関に応募書類を送り始めました。イスタンブール経由の長い旅を経て帰国した日、親に空港まで迎えに来てもらい夕飯を済ませて家に帰り、応募した一つのある大学から課されていた教案を徹夜でしあげ、翌日スカイプ面接に挑みました。(結果的に、そこは不採用でしたけど。笑笑)

上京する?地元札幌に残る?

最終的に、2つの大学から採用していただけました。記憶が曖昧ですが、10校ぐらいに応募書類を送ったかと思います。

採用通知が来た大学は、1つは地元札幌、もう一つは東京だったので、どちらかを選ばなければなりませんでした。どちらにも私にとってはメリットがあったので、このときもなかなか決められず、大学時代お世話になった数人の先生方を始め、色々な人に相談しました。

結局東京に行くことにし、今に至るわけですが、東京を選択するにあたり考えていたことはこんなところです。

地元札幌を選択するいい点

  • 愛着のある札幌にいられる
  • 大学時代の先生を始め、お世話になった方々にこれからもお目にかかれる

東京を選択するといい点

  • 興味のある学会や勉強会などに参加しやすい
  • 日本語教育機関が沢山ある 
  • 採用してくれた大学は、色々教えてくれそうだった

書いてみると、自分でもこれだけかと思うのですが、決めるのにだいぶ時間がかかりました。

最後の「採用してくれた大学が、色々教えてくれそうだった」についてですが、この大学からは私は即戦力としてではなく、ウチで育てようということで採用していただけたのです。

まだ日本語教師経験が一年しかなかった私を採用するケースは珍しく、かなり悩んだうえでの決断だったようです。確かに沢山のことを教えてもらい勉強になりました。

この経験を経て個人的に思うのですが、「育ててあげる」という機関への入職は、少し考えたほうがいいかもしれません。「育てる」ということは、その機関のやり方を「仕込む」というふうになってしまうこともありますからね(笑) この辺についてはまた別の機会にお話しします。

東京での日本語教師生活は、当初思い描いていたものと違う点もありましたが、仕事を含め東京での生活にいいところは沢山あります。札幌への愛郷心が強くていずれは札幌に戻ろうと思って上京してきた私ですが、今はこのまま東京に残りたいとさえ思います。

まとめ

以上、「日本語教師になるまで編」からスタートして、やっと上京するところまでたどり着きました。思いの外時間がかかって、疲れました。

「自分で人生決めてきたから今こんなに幸せだよー☆後悔なんてないよー(^_-)だから大丈夫だよー☆」とは言えません。

今でもあの選択をしていればどうなっていたかと考えることはありますが、もう一方を選んでいれば全て上手くという保証もないですし、この選択をしたからこそ、といういいことも沢山あります。

皆さんはこれから、どんな選択をしてどんな道に進むのでしょうか。自分で考えて出した決断であればどんな道にいらっしゃっても嬉しいですが、こちらへ(日本語教育の世界へ)来てくれればもっと嬉しいです(笑)

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