第1話【20代で日本語教師】20代、フィリピンで働くという新しい人生。

こんにちは。Senseeライターのきなこです!

フィリピンのことをお話するのは、今回が初めてですね。かっこいい人だと思われても困るので先に申し上げておきますが、私、英語は全然できません。

英語が得意だからフィリピンに行ったわけではありません。

もちろんタガログ語も全くできません。旅行はノリで乗り切って、中学生以下の英語を並べまくって、あとは指さしとジェスチャー!というタイプです。

そんな、ド平凡な私が日本語教師になって、フィリピンで働いているというお話をしていきます。転職を考えている方や、日本語教師になろうか悩んでいる方、人生このままでいいのかなーと、漠然と考えいる方も、何かのきっかけになるかもしれないと思って、身近な友達の話だと思って読んでいただけたら嬉しいです!

目次

まず、私はどんな仕事をしてる?

私は日本語教師養成講座を卒業後、名古屋の日本語学校で半年勤めてから、「国際交流基金」という機関から派遣される形で、フィリピンへ行きました。

私が派遣されたお仕事は、日本とフィリピンのEPA(経済連携協定)に基づいて実施されている日本語教育事業で、ざっくり言うと出稼ぎに行きたいフィリピン人に日本語を教えて、看護・介護人材として働きに来てもらおう!という事業です。(超ざっくり)

彼らはフィリピンで半年間日本語を勉強してから、日本へ来て看護師・介護福祉士として働きます。私はそんな人達に、日本語を教えています。

厳密には看護師・介護福祉士”候補者”と呼ばれ、彼らは日本の病院などで働きながら勉強し、日本人と同じ国家試験への合格を目指します。国家試験に合格すると正式に看護師・介護福祉士となり、長期滞在や家族滞在が可能になります。

現地の授業は約20人のクラスで行われていて、日直もあって、日本の学校に近い形で運営されています。写真などをお見せしたいところですが、EPAは公的事業なので、内部事情は一切語ることができません。あらかじめご理解の程お願いいたします。

概要や動画は国際交流基金のサイトで見られるので、興味のある方は是非見てみてください。ここでは、人生を変えようとフィリピンへ渡った、20代ひよっこ日本語教師のリアルな日常や生活ぶりなどを、できる限り具体的に、お伝えしていきます^^

この仕事との出会い

私はフィリピンに行きたくて、仕事を探していたわけではありません。フィリピンへ行くことになったのは、偶然です。きっかけは、養成講座でポスターを見たこと。ただそれだけ。(笑)

日本語教師になる前から、漠然と「海外で働いてみたい」と思っていましたし、日本語教師も、どうせやるなら海外で!と思っていました。

そんな時、養成講座でEPA日本語講師募集のポスターを見ました。派遣元の「国際交流基金」は業界で知らない人はいないので、EPAというとほとんどの日本語教師の方はご存知ですが、ついこの前までOLだった私は、そんなの全く知るはずありません。

正直、最初はそこまで興味がわきませんでした。そもそも、そんなちゃんとした所から派遣されるような仕事は、ハードルが高そう……自分には無理だ…と思ってましたし。その時はまだ養成講座に通っていたので、「まぁ落ちるだろうけど、今後の就活のための練習!」くらいの気持ちで応募しました。

初心者に「常勤×海外」は可能?

まったく期待していなかった書類審査が通り、面接と模擬授業に行ったわけですが、私、まだ在学中だし模擬授業もやったことなかったんですよ。

「授業って何するの?」状態からのスタートでした。(笑)

養成講座の先生に助けてもらい、なんとか見よう見まねで授業を作って行きました。結果的には棒読みでグッダグダだったんですけど、ありがたいことに、私は養成講座在学中に合格をいただくことができました。(ほんとになぜかわからない。笑)

でも、合格通知をいただいてかなり迷いました。日本円でお給料を提示されても、現地の物価で生活したことがないので、それが高いのか安いのかわからない。

そして一番の悩みは、「常勤」であること。常勤と言うことは、週5のフルタイムです。自分がこなせそうな日数だけ出勤する、ということはできません。私、まずは非常勤で週2日くらいから……と考えていたので、常勤になるイメージがゼロだったんです。(じゃあなぜ受けた!笑)

私、本当に行動がゆっくりだし、毎日ちゃんと寝ないと無理な人なので、寝不足生活なんて絶対無理。授業準備は間に合うのか、キツくないか、とにかく不安で、自信が無くて、めちゃくちゃ悩みました。

結果、世界へ一歩踏み出した。

思ったより、大丈夫だった。

散々悩んだ結果、「後悔はしたくない!」と私はフィリピンで常勤講師として働き始めた私ですが、まぁひよっこなので、授業準備に追われて睡眠不足なドロドロ生活を覚悟して行ったんですよ。笑

ところが、現地での生活は想像と180度違って、仕事を家に持ち帰ることはほとんど無く、平日もご飯に行ったり、ジムに行ったりしていましたし、休日もお出かけできる程、余力がありました。

想像と違って問題なくついていけたのには2つ理由があると思っていて、1つは研修やフォローアップがしっかりしているから。フィリピンへ行く前に、教え方の基礎からしっかり研修があって、研修で模擬授業も何度もしました。

フィリピンへ行ってからも研修があるので、不安な部分はそこで少しずつ解消することができました。もう1つは、フィリピン人の性格とにかく明るくて、前向きで、楽観的な人ばかりで授業もアットホームな雰囲気で、みんなフレンドリーだし、先生がんばって!っていう雰囲気だし、笑

こちらの指示が伝わらなくて困っているとなんとか汲み取ろうと頑張ってくれるし、本当にフィリピン人に助けられました。私も楽観的で明るめな性格なので、シンプルにフィリピンが合ってるのかもしれません。笑

初めての仕事選びで学んだこと。

フィリピンで働いてみて思うことは、たとえ経験が無くても、自分に自信が持てなくても、挑戦はできる!ということ。経験も自信がない人は、研修やフォローアップ制度が整っている仕事を探せばいいし、今の時代、国や学校の雰囲気を知りたいならネットでいくらでもヒットします。

とにかく自分が不安に思っていること、すべてを採用担当の人に聞いてみること!難しく考えすぎると動けなくなってしまうから、頭抱え込んでまで悩まなくてもいいのかな、と思いました!

本当に、意外となんとかなる!私も実際に、いくつか日本語学校に問い合わせました。まだ養成講座在学中で経験がないこと、授業準備が不安なこと、IT設備や自由に使える参考書はどのくらいあるか、など…

行ってしまったら引き返せないので、モヤモヤが解消されるまで聞いた方がいいです!

今回はフィリピンのお話【動機編】でした。今色々と決断に迷ったり悩んだり、自信がなかったりする方に、ぜひ参考にしてもらえたらな、と思います。

私は決して、頭が良くて仕事もできるキラキラした人間ではないので、「へ~。この人でもなんとかなったのか」くらいに、どこにでもいる平凡な身近キャラだと感じていただけたら、嬉しいです。笑

次回は【生活編】として、ひよっこ日本語教師がフィリピンでどんな生活をしているのか、一日を大公開します!お楽しみに^^

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • こんにちは。現在アラフォーなんですが、将来的には海外に住んで仕事したいと思ってました。
    なかなかいい仕事に恵まれずに転職を繰り返してたんですが、ちょっとしたきっかけで日本語教師を通信で学び修了書を頂きました。今転職したてですが、3か月後続けるか続けないか会社と面談があるので、その間にいい仕事ないかと思っていたところきなこさんのページにいきつきました。
    年齢的にも転職するのに勇気がいる年になってきましたが、気が付いたら海外の求人を探していました。私自身今まで外国人と働いた経験があるのですが、どちらかというと日本人よりもあっているのかもしれません。そして国際基金のフィリピンに応募しようか悩んでるうちに募集が終わりました。契約が終わった後、仕事があるのかといろいろ考えてる自分がいます。きなこさんは今は日本で日本語教師されているのでしょうか?また行かれた時に私くらいの年齢の方もいらしたでしょうか。よろしくお願いいたします。

    • フジさま、嬉しいコメントありがとうございます!
      通信講座の修了おめでとうございます!
      私はEPAを卒業し、JICA海外協力隊に行くことにしました!今日本で出発日を待っているところです。
      確かにEPAの契約終了後、就職の紹介などはありませんが、在職中に同僚からたくさん情報が手に入るので、契約満了後のことはあまり気にされなくても大丈夫だと思います。
      年齢も、アラフォーだと年度によっては若い方ですよ!!
      様々な年齢層・経験の方がいます。(60歳以上の方もたくさんいらっしゃいます!)
      色々な職場や人間に対応できるのは、EPAの採用ではアピールポイントになると思います!!
      私でよければいつでもお話伺います^^
      またぜひコメントお待ちしております!

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