SenSeeライターおおたです。
音声学の復習、第5回目は特殊音素の一つ、撥音「ン」についてです。音声学の復習④で口腔断面図の話をした時にも少し、この「ン」を話題に出したのですが、この回では撥音「ン」だけにしぼって、しっかり復習しておきましょう。
撥音「ン」は、いくつか種類がありましたね。ある「ン」が、いくつかある中のどの音であるか判断するにも子音の知識が不可欠になります。子音については音声学の復習②③で確認してください。
音素と異音
撥音「ン」の話に入る前に、まず「音素」と「異音」ということばについて確認しておきましょう。
まず、音素について、猪塚・猪塚(2019)で以下のように説明されています。
音素:語の意味を区別する働きのある最小の単位
猪塚・猪塚(2019)の例で「サカ(坂)」という言葉について考えてみましょう。
普通はこう発音するでしょう。
[saka]
ところが、以下のように発音した人がいたらどうでしょうか。
[θaka]
[θ]は、無声・歯・摩擦音で、英語のth の音ですね。(think [θi ŋk]など)
先ほどの[saka]と音としては違うのですが、別にそれで意味が変わるわけではなく、私たちは普通に「坂」だと理解すると思います。日本語においては、[s]と[θ]は同じ音として認識されており、意味を区別する働きがないのです。
そう、これは「日本語においては」です。言語によって違います。例えば英語だと、[s]と[θ]を入れ替えると違う意味になってしまいますよね。
- [θi ŋk]
- [siŋk]
上がthink、下がsinkです。英語においては、[s]と[θ]は違う音素に属しているということになります。
今度は、こう発音したらどうでしょうか。
[taka]
[s]が[t]になりました。これでもう「坂」の意味ではなくなりましたね(「鷹」か何かですね)。日本語においては、[s]と[t]は意味を区別できるので、両者は違う音素に属しています。
また、同じ音素に属している色々な音が、異音です。
日本語だと…
/s/ … [s] [θ]
音素 異音 異音
それぞれの言語の音素の数は決まっており、日本語では通常このように分類されます。
- 母音音素:/a /i/ /u/ /e/ /o/
- 子音音素:/k/ /g/ /s/ /z/ /t/ /d/ /c/ /n/ /h/ /p/ /b/ /m/ /j/ /r/ /w/
- 特殊音素:撥音音素/N/ 促音音素/Q/ 引く音/R/
それでは次のセクションで、特殊音素の一つ、撥音/N/について見ていきましょう。
撥音「ン」について
撥音「ン」にいくつかの種類の音があると言いましたが、そのいくつかの音は「異音」ですね。撥音音素/N/の中に異音が6種類あります。
まず、以下の言葉を、「ン」のときの唇や舌の状態に注意しながら読んでみてください。
てんばい(転売) かんない(館内) かんち(完治)
そんがい(損害) パン しんい(真意) しんせつ(親切)
それぞれの「ン」、少しずつ違いますよね。
例えば、てんばい(転売)の「ン」は唇がくっついているけれど、かんない(館内)の「ン」は離れていたのではありませんか。というか、かんない(館内)の「ン」のときは舌が歯茎についていませんでしたか。
そんがい(損害)の「ン」はもっと舌の奥のほうを使っているように感じませんか(後述しますが、これは軟口蓋です。)
撥音「ン」とは、
- 次に来る音(後続音)を発音する準備をして(次の子音と調音点が同じ状態にして)、鼻に有声の息を通しながら1拍待っている音です。
(ちなみに、促音「ッ」だと、鼻に息を通さず1拍待ちます。)
- 撥音「ン」は後続音が何かによって調音点が変わります。
- また、後続音が「閉鎖」のある調音法を持つ場合は「鼻音」、「閉鎖」が無い場合は「鼻母音」となります。
撥音「ン」の異音
異音6種類
撥音「ン」の異音の話になったら、必ずこの図がでてきますよね。
私の記事では、音声記号をあまり使ってこなかったので、ここで後続音に書いてある記号は日本語の音の中で何なのか簡単に確認しておきます。
- [p][b][m](両唇音) パ行、バ行、マ行
- [t][d][ts][dz][n][ɾ](歯茎音) タテト、ダデド、ツ、ズ(ヅ)、ナヌネノ、ラ行
- [tɕ][dʑ][ɲ](歯茎硬口蓋音) チ、ジ(ヂ)、ニ
- [k][g][ŋ](軟口蓋音) カ行、ガ行、カ°行
- なし(語末)
- [a][i][ɯ][e][o](母音) アイウエオ
[j][ɰ](半母音) ヤ行、ワ
[ɸ][s][ɕ][ç][h](摩擦音) フ、サスセソ、シ、ヒ、ハヘホ
(→まとめるとサ行、ハ行)
撥音「ン」がどのように発音されるかは、
- 後続音が「閉鎖」のある①~④の音(鼻音、破裂音、破擦音、弾き音)の場合は鼻音
- 後続音が「閉鎖」の無い⑥の音(母音、半母音、摩擦音)の場合は鼻母音
となります。
このセクションの冒頭の枠内の言葉は、①~⑥の例を順番に挙げています。
①両唇音 例)てんばい(転売)
「ン」で唇がくっついていたのは、後続音(この場合は「パ」)が両唇音だからですね。
両唇音である「パ」を発音するために、「ン」のときに既に両唇音になって準備しています。
後続音「パ」は両唇音 → 「ン」は両唇鼻音
②歯茎音 例)かんない(館内)
後続音「ナ」は歯茎音 →「ン」は歯茎鼻音
③歯茎硬口蓋音 例)かんち(完治)
後続音「チ」は歯茎硬口蓋音 →「ン」は歯茎硬口蓋鼻音
④軟口蓋音 例)そんがい(損害)
後続音「ガ」は軟口蓋音 →「ン」は軟口蓋鼻音
⑤語末 例)パン
後続音がない → 「ン」は口蓋垂鼻音
⑥母音・半母音・摩擦音 例)しんい(真意) しんせつ(親切)
後続音「イ」は母音、「セ」は摩擦音→「ン」は鼻母音
鼻母音とは鼻腔への通路を開けて発音される母音です。
後続音が、母音、半母音、摩擦音、全て「閉鎖」が無い音なので、「ン」のときも舌はどこかについて「閉鎖」を作らないのですね。(舌が盛り上がってはいますが。)
このタイプの「ン」は、前の母音を鼻腔への通路を開けながら発音した音になります。
よって音声記号ではこのように書かれることが多いですね。
しんせつ [ɕiĩsetsɯ] (「シ」の母音[i]を鼻からも出す。)
他の例でみて見ると
うんえい[ɯɯ̃ei] (「ウ」[ɯ]を鼻からも出す。)
「ン」の識別:どの「ン」か考えてみよう
それでは、もう少し「ン」を含む言葉をみて見ましょう。以下の言葉の中の撥音「ン」は、6種類のうちのどれだと思いますか。
にほんしゅ(日本酒) たんぱつ(単発) あんず(杏子) はけん(派遣)
うんめい(運命) しんや(深夜) しんにゅう(侵入) かんじ(漢字)
たんか(単価) ライン せんご(戦後) しんらい(信頼)
答え
- 両唇: たんぱつ(単発) うんめい(運命)
- 歯茎: あんず(杏子) しんらい(信頼)
- 歯茎硬口蓋: しんにゅう(侵入) かんじ(漢字)
- 軟口蓋:たんか(単価) せんご(戦後)
- 口蓋垂:はけん(派遣) ライン
- 鼻母音:にほんしゅ(日本酒) しんや(深夜)
できたでしょうか。撥音「ン」の異音の表で、確認しておいてください。
能力試験にも出るかも!「ン」に関する学習者の間違いあるある
最後に、撥音「ン」の発音で、ありがちな間違いを紹介します。二つの例を紹介しますが、どちらも母語に関係なく、どの学習者もやってしまうものだと思われます。試験にも出る可能性がありますので、押さえておきましょう。
「ン」+母音・半母音
復習になりますが、これらの「ン」は後ろに母音があるので、「鼻母音」ですね。
ところが、学習者はこの「ン」を歯茎音で言ってしまい、結果、後ろの母音と結びついてしまうことがあります。するとどんな音になるでしょうか。
- しんあい(親愛) → しない
- ほんを(本を)→ ほの
になってしまうのですね。
また、しんや(深夜)など、「ン」+半母音のものは、歯茎硬口蓋音で発音してしまい、
- しんや(深夜) → しにゃ
また、おんいん(音韻)など、「ン」+イ も歯茎硬口蓋音になりがちです。
- おんいん(音韻) → おにん
拍の問題
今回のテーマである撥音の異音とは違う話なのですが、リズムについてです。拍と音節の違いを覚えていますか。日本語は「拍」の言語ですね。(英語などは「音節」です。)
拍の特徴を言うと、
- 全て同じ長さ(等時性)
- 基本的に1拍にかな1文字が入る
- 特殊拍(ン、ッ、ー)も、これだけで1拍になる
3つ目が重要で、これが音節との違いになります。音節だと、特殊拍は前の拍と合わせて、一つの音節と考えられます。
例えば、
- で ん わ (電話) 3拍(2音節)
- し ん ぱ い (心配) 4拍(3音節 ※2音節とされることもある)
「で」「ん」「わ」、「し」「ん」「ぱ」「い」はそれぞれ同じ長さでなければなりません。一定のリズムで手拍子をし、一手拍子にひらがな一つをはめていきます。
ところが、この、拍が身に付いていない学習者は
- でん わ (2拍??)
- しん ぱ い (3拍??)
というふうに読んでしまうのですね。
発音の授業でもない限り、普段はあまり学習者の発音を気にして訂正してあげる余裕がないかもしれません。ただ、このくらいの間違いだったら、授業中に手拍子をしながら発音してみせたりして、さらっと訂正することもできそうですね。
まとめ
今回のテーマは撥音「ン」の発音でした。「ン」だけでもこんなに種類があって、我々日本語母語話者は無意識にそれを使い分けていたなんて驚きますよね。
撥音「ン」は後続音の影響を受けて調音点が決まります。
調音点がどこになるかというのは、②③でやった子音の知識があればある程度大丈夫ですよね。
撥音「ン」も、試験に出題されやすいものの一つです。特に「学習者の間違いあるある」でご紹介した「ン+母音・半母音」は、「出題される『ン』の問題あるある」かもしれません。
次回はアクセントについて書く予定です。
参考文献
- 猪塚恵美子・猪塚元著『日本語教師トレーニングマニュアル1 日本語の音声入門解説と演習 全面改訂版』2019バベルプレス
- ヒューマンアカデミー『日本語教育教科書 日本語教育能力検定試験 完全攻略ガイド第4版』2019翔泳社
コメント
コメント一覧 (2件)
トヨタは英語ではトヨラに聞こえますが、これはタの発音とラの発音がどう違うのでしょうか?
田中一正様
ご質問ありがとうございます。
トヨタ[tojota] と英語母語話者が話すと、トヨラ[tojoɾa]に聞こえる(タの部分が日本語の「ラ」に聞こえる)ということですよね。
まず、タ[ta]とラ[ɾa]の子音部分の違いは以下の通りです。(子音については、「音声学の復習②子音の整理~能力試験合格を目指そう」も合わせてご覧ください。)
[t] 無声 歯茎 破裂音
[ɾ]有声 歯茎 弾き音
[t]も[ɾ]も調音点は歯茎なので、ほぼ同じところに舌を当てます。
両者の違いは調音法で、[t]は破裂音、[ɾ]は弾き音です。
[t](破裂音)はまず歯茎に舌を当てて閉じ、肺から送った呼気を一気に解放させて出しますが、[ɾ](弾き音)ほうは同じ歯茎の部分に舌を当ててすぐに離す、軽く叩いて出す音です。トヨタの「タ」のときに、その破裂のさせ方が弱いと、日本語のラ[ɾa]に聞こえるのだと思います。
また、私はこの言葉を知らなかったのですが、英語の発音の「フラップT」というものについて、よろしければお調べになってみてください。